五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



     山茶花  〜 その一



 こたびの経緯で奇しくも出会うこととなったその前だとて、その身ひとつで世を渡り歩いていた面々が大半で。さしたる荷物があるでなし、移動自体は何の問題もなく片付いてしまいそうな趣きで。ただまあ、雪が退いての人の往来が本格的に復活するその前に、人目を神無村から引き剥がすための対処である以上、村の皆さんとは事実上、これを最後のお別れとなってしまうわけで。疑心暗鬼や不安からの衝突や齟齬、全くなかった訳じゃあなかったが、それ以上に苦楽を共にし、一丸となって天下を引っ繰り返すほどもの とんでもない仕儀を成し遂げたその上、村人たちへ自分たちを守るための戦術という牙を授けてしまった伝導の士。生きるための抵抗をするのはともかくも、歯には歯をという術を伝授してしまったことが…この先どう出るかは、彼ら次第の先行きのお話。決して他所へ向ける牙とはしないよう、そうであった連中がどんな末路を辿ったかも忘れるなという注意を授けたお侍様たちを、中には泣きの涙で見送る者までいてのお別れを背中に受けつつ、居残り組の五人がこそりと向かった先こそは、


  ―― 此処から全てが始まった交易の街、虹雅渓。


 名前に“渓”とあるくらいで、元は荒野の只中にあった涸れた渓谷の一角だった場所へ、先の大戦の終盤あたりに落ちた弩級戦艦があり。そこへと流れ者らが住み着いて始まったらしいという特異な街。相変わらずに雑多で流動的な、ずんと気張った美辞麗句を持って来て、常に過渡にある闊達な街であり。何と言っても交易が柱となっている土地だけに、あまりに唐突だった“天主や大商人
(アキンド)らの謀殺”の影響、恐らくは此処にも少なからずあったのだろうけれど。この街を舞台にしての何かしら、物々しい騒乱があったという訳でなし、その佇まいにはさしたる変貌も見られはしない。スクラップを積み上げのがらくたを継ぎ合わせのしたような、危なっかしい構造の街路には、旅人相手の“しもた屋”などと呼ばれる木賃宿や屋台が多く居並んでおり。陽の差さぬ下層へ降りれば降りるほど、漂う空気も何処か胡散臭さを増して。同じ“流れ者”であれ、自ら居処を定めぬ風来坊なんだろか、それとも臑に傷持つお尋ね者なんだろか。どうとも断じかねるようなどこか胡亂な顔触れが、だってのにこちらを瀬踏みするような眼を向けて来の、昼日中から小愽打に興じていたり自堕落にも寝そべっていたりするところも変わらない。木の葉を隠すにゃ森の中、人を隠すにゃ人の中…じゃあないけれど。そんなところへと各々が、紛れ込むようにして居合わせたお侍のお歴々。それぞれに色々と、因縁も深けりゃあそれなりの愛着も深い土地でもあり。殊に勘兵衛に至っては、表向き“非業の死を遂げた”ことになっている右京が、天主就任のお披露目の儀の最中に“公開獄門”という処刑をなそうとした、何とも穏やかならぬ縁(えにし)もありで。

 『けれどあれは、結局“恩赦”とやらを持ち出されたことで、
  相殺されての無効となった罪科だとも 聞いておりますが?』

 しかもしかも、首枷から自力でいとも容易く脱出しおおせた勘兵衛が、凶刃引っ提げて迫り来たのから、右京自身が助かるための切り札として繰り出したようなもの。順序はともかく そんな経緯があった以上は、彼自身が都への潜入に利用した“勅使殺し”という罪科、公的にも消滅していはするものの。それでも

  ―― 危険分子として
      一等広く知れ渡った浪人とされていなさるお顔なんだから

 事情を知らぬお人たちから、どう解釈されるかは判ったもんじゃあないと。事ある毎に口を酸っぱくして言い続けた七郎次の杞憂をこの際は優先し、なるだけ埃を立てぬようにと、息をひそめての穏やかに潜入を果たすこととしたご一行。本来ならば荒野をやって来たそのままの道なりにしか入れぬ街だが、こたびの騒ぎの関わりから縁をつないだ格好の、式杜人らが住まう地下水系の禁足地経由という、一般人には通行不可能な経路を辿ることで人目を忍んでの到着をなし。とりあえずは…やはり こたびの騒動の中で懇意にしてもらっている“蛍屋”へと身を寄せた。本来だったらとんだ災難と思っていいような関わり合いだろに、姿も気遣いも申し分なく女らしい反面、気っ風のいい女将でもある雪乃はというと、

 『遠慮なんてしないで下さいましな。』

 迷惑だと思うようなら とうにはっきり言っておりますと、それこそはっきりくっきり言ってのけ。これでも皆様がたとはお仲間うちと、滸がましくも自負しております身、水臭いことは一言だって言いっこなしですよと、お出迎えの場にて嫣然と微笑って見せたほど。無論のこと、言葉づらの上でだけでのお愛想なんぞではなくて、母屋に一番近い離れの1つ、随分と贅を尽くしての粋なそれを、好きに使って下さいませと貸し出してくれており。三食を上げ膳据え膳で供して下さる気の遣いよう。昼間の暇な一時なぞ、戦さ以外の様々な方面へも蓄積豊かで造詣深い勘兵衛と、滋味あふるる会話を持つことも多々あって。

 「もし。島田様? よろしいでしょうか?」

 こちらはもう随分と暖かいようだのと。濡れ縁に接した障子戸を開け放っての、陽あたりのいい窓辺へと膝を進め、何やら書を繰っていた壮年殿へ。丹精込められた中庭を突っ切って来た女将が気さくな声を掛けたは、とある昼下がりのこと。覗いた居間の様子に、
「お手隙ならばと思ったのですが…。」
 あれお邪魔でしたかと母屋へ戻りかかった細おもてへと、笑顔を向けて引き留める。
「いやいや、手持ち無沙汰でおったところ。何か御用かの?」
 ここ“癒しの里”にて、一流どころの太夫になるよう磨かれて、言葉遣いから身ごなしの端々への気の遣いようまで、それはそれは行き届いているとはいっても。元副官とはいえ結構な年の差がある七郎次より、更に若いのであろう雪乃であり。背伸びをしても詮無い相手へは、稀なことながら素直なお顔覗かせもするようで。あらためての向かい合った彼女が言うには、
「実はお助けいただきたくて。」
 勘兵衛様の書は、そりゃあ骨太な剛の逸品。実家の長押に掛けたいからとお偉い大将閣下までが一筆もらえぬかと強請
(ねだ)っていたほどのものと、七郎次さんから常々聞かされておりました…と、女将は連ね、

 「次の七の日、句を嗜まれる御大尽の節季の集まりがあるのですが。」

 ウチではお座敷へ いつも絵の掛軸をしか飾らぬもの、このような華やいだ店ではしようがないかのと、お決まりのように残念そうに言われるのが少々口惜しくて。かといって、書は専門外もはなはだしくて、何がどうという見立ても出来ぬはまこと。
「? さようかの? あの短冊は、女将の筆であろうに。」
 床の間とのバランスも巧みな柱に、色紙を台紙にしての飾られた短冊が掲げられてあり。艶やかなまでの水茎の跡も流麗な、品のいい春の句が綴られていること、此処へと通されたおりから気がついていた勘兵衛だったらしく。
「小唄に三味線、舞いに琴にといった一通りの芸事のみならず、茶道に華道、書に和歌にと、教養の百般さえもを修めた粋人だとの噂はまことであったの。」
 微笑って褒めて下さったのへ。白い手を添え、あっと丸ぁるく口を開いたそのまま、頬を染めた女将だったのは、そのような短冊飾りなぞ片付けたつもりであったものか。お恥ずかしいものをと、含羞みに唇かんだのも一瞬のこと、
「あのような なよなよした筆ではいけないのだそうで。」
 それへも何をか言われたからこその“口惜しい”もあったらしくって。集まりの主幹様がいつぞやお持ちになられた書があって、それはとっても猛々しい作品だったのを覚えております。好みや季題によってという選びようも勿論あるのでしょうが、優雅風雅な絵画へと、ひとしきり女性や色好みの趣味だという言いようばかりなさるお歴々。お客様相手に大人げないには違いないのではありますが、人へと難癖つける悪趣味を棚に上げておいでなところが どうにも収まらないのは、いくら粋人であれ見過ごせぬほど、曲がったことが嫌いな本質をも持つ彼女でもあったから。負けん気出してのへこませたいからというよりも、どんなもんだいとちょっぴり胸を張りたくての我儘を、もしもよろしかったなら聞いては下さいませぬかと。濡れ縁へと腰掛けつつも、懐ろに抱えて来た巻紙と文箱をおずおずと差し出すところなぞ。年の離れた従兄弟か若しくは叔父様にでも甘えるようなお言いよう。退屈そうにしていた勘兵衛を彼女なりに見かねたのかも知れず、相手を立てての気遣いだろうとそこは気づいたか、

 「そのように頼られるほど、大した腕ではないのだが。」

 だがまあ、はったりの利くことならばと前置きしつつ、受け取った文箱を開くと、収められてあった墨と硯を取りい出し。大きな手で墨を磨りはじめてからの仕事は手早くて。畳に敷かれた毛氈の上へと膝を進めると、縦に大きな半紙を広げて一気にしたためた一筆は。松の古木か昇龍か、掠れた部分にも空間美の妙が伺えるところは上質の山水画の如くという、成程、なかなか味のある剛筆の草書であり。しかも書いた文言というのが、

  ―― 達人は大観す

 「巧拙に何か言いたくとも、これでは口塞がれてのなかなか言えまいよ。」
 「あらまあ。」

 さすが、はったりでは負けぬと言っただけはあり。そしてそんな企みをも含んだ文言であると、説かれずとも通じた女将がくすすと微笑う 気の合いよう。…何て意味の言葉かは各々で調べてね?
(こらこら) 清かにもきりりと冴えた墨の香を、なお一層引き立てて。ほのかに甘い春先の風がそよと吹き、
「どこぞかで開いた気の早い花の香を乗せてでもいるものだろか。」
「そういえば、ウチのジンチョウゲの茂みに、そろそろ蕾もちらほら見え始めておりますよ?」
 見事な書へのささやかなお礼、美味しいお茶を淹れて差し上げながら雪乃が告げて。それを和んだ表情で聞いている壮年殿は、こうしていると取り立てて特別な何かをはらんだお人には到底見えない。確かに、上背もあっての鋼のように屈強な体躯をいまだ保っておいでで、いかにも武人がそのまま年経て達観に至った末というよな、精悍で雄々しい印象もありはする。あの、途轍もなく大きな戦さへと挑もうとしてらした直前の晩に。まだ姿も見えぬうちから敵の気配に気がついて、この店の前、桟橋近くまでを飛び出してった侍の冴えを、その眸で見もした雪乃だけれど。それでも…その彫の深い面差しからは、鷹のような鋭さや威容などといった荒ぶる魂の余燼より、様々な思案の錯綜を染ませた末に身につけたのだろ、心の尋の奥深さや、義に厚い頼もしさを裡
(うち)へと含んだ静謐や落ち着きなどなど。どこか寂寥を滲ませたそれらの方をこそ強く感じてしまう。お強いけれど哀しいお人。お強いがために膝を折っての立ち止まれない、痛々しいお人だと。のちに伴侶から聞くこととなろう、そんな男なのだとは、今の雪乃はまだ知らなくて。長閑な陽光の降り落ちる中、

 「我らもじきに、発たねばならぬの。」

 新しい季節の到来の話へ、そんな一言、何気にこぼされる。彼らより先に此処へと至った平八と五郎兵衛も、この家の内にはもう居ない。そんな彼らへ着いてすぐにもと知らされたのが、

 『そうですか、勝四郎くんは もう。』

 あの戦い以降 こちらで“養生”していた菊千代と、その傍らから離れたくないと付き添っていた小さなコマチと。彼らと彼らを案じる神無村の人々との連絡係を請け負って、あの戦さの後からこっちのずっとをこの街で過ごした最年少のお仲間は、冬の間に訪のうた七郎次や平八ともあれこれ言葉を交わす機会を持ちつつ、それでもどこかに振りきり切れない何かを抱えたままなお顔のまんま、一足先に旅立っていったのだそうで。理想や道理と“現実”とには実は大きな落差があって、どっちが正しいのかは明白であっても、例えば弱い者は永らえるために間違っているほうを選ばねばならぬ場合があるのだとか、だからと言って死すことが花道なんかじゃあない、生きていてこそ花なのだという言いようの本当の意味だとか。大人の皆様には至極あっさりと割り切れていた“そんなこんな”が、まだまだ知識としてしか知らぬことの多かりしな彼には なかなか受け入れ難かったのだろう。そして、そんな気持ちのままにお仲間の皆と顔を合わせるのが居たたまれなんだか、五郎兵衛らが着いたのと ほんの一足違いにて、新天地に向け、発ってしまったという話であり。
『ですが、妙に勢いづいての勇んで飛び出してくのも、とんでもなく向こう見ずなことをやらかしそうで心配でしょう?』
 それに比すれば、多少考え込んでいたくらいが、あの年頃には丁度いいのではありませぬかと。いかにもごもっともなお言いようをしたお人をこそ、今の今、心配性な誰かさんは最も案じておいでだったりするらしく。それを指してのことだろう、

 「自分が足りてるからこそ出来る、人への心配でしょうから、
  勘兵衛様とて大目に見ての、何にも言ってやらないのでしょう?」

 くすすと微笑った雪乃の言いようにこそ、これはしてやられたと苦笑を返した壮年殿だったりするのである。





        ◇



 その平八はといえば、式杜人との連絡への勝手がいいからと、鍛冶屋工匠である正宗の住まいの近所に工房つきの空き家を見つけ、しばらくはそこに居着くという。その住まいを見つけたのが、こちらの街には結構長く住んでいた関係で、土地勘もあった五郎兵衛で。着いてすぐにもという軽快なフットワークで街のあちこち、様々な伝手やら土地勘やらを駆使しての、平八が望んだ全てに添うような住まいをと探し回って…あっと言う間と思えたほどもの要領よく、見つけて来たというから凄まじい。後々の出奔にあたっても 共に発つ予定の彼ら二人、後発の三人が到着したのと入れ替わるよに、さっそくにもお引っ越しをしてしまった周到さであり、

 「ありゃあ、
  中継塔の配置準備とやらが整い次第、いつでもおん出てくつもりだな。」

 やりたいことがあってのワクワクしてやがるから、子供みてぇに浮足立ってるのが丸判り。突拍子もなくの間合いで発ちかねねぇぜと。工部関係者同士で通じ合うものでもあるものか、ともすりゃ楽しげに口にした正宗へ。そこまで前向きになってくれたのが、嬉しいような、でもでも、
「そんないきなり、糸の切れた凧みたく“言うより先の行動派”になられてもねぇ。」
 どこか複雑そうなお顔になったは、淡い紫の羽織にえび茶の筒袴という、久方ぶりにそれが常の恰好だった幇間姿へお戻りの、蛍屋の七郎次さんだったりし。今日本日はちょっとした所用あってのお出掛けで、その出先でお顔を合わせたのがこちらの正宗殿。頼まれていた工具を搬入しに来たというのへと、ついでと言っちゃあ失礼ながら、ご挨拶もかねてのお声を掛ければ。新参という形でご近所付き合いが始まった平八らを評して、そんなお話を振って下さり、さっそくにもおっ母様に頭痛の種を増やさせておいで。
「そうは言っても こればっかはな。小さな子供じゃあんめぇし、誰がどう、何を言っても制
(と)められたもんじゃああんめぇよ。」
「そりゃまあ、そうなんでしょうけど。」
 心配性のおっ母様。何かしら引き摺ったままでいるよりは、前向きになってくれりゃあそれでよしと片付けたいのは山々だったが、
“箍が外れたら、一体誰が止めるんだろうか。”
 何せ同行することとなろうお人が、頼もしいことこの上なしの、人性確かなお人ではあるが、それと同時に…度を越えた楽観主義者でもあるものだから。そんな二人でのみでの旅立ちともなれば、さぞかし危なっかしい旅路になること請け合いかもしれなくて。まったくもうもうと、気を揉んでいたところへと、

 「…。」
 「あ、久蔵殿。」

 隣りの診察室から出て来た次男坊の気配へと、お診立ては済んだのですかと七郎次が注意を振り向けた此処は、彼らがまとめてお世話になっている玄斎医師のご自宅だ。これもまた五郎兵衛の伝手あってのお付き合いをさせていただいている名医だが、確かな腕をしてなさるのに正式な看板は出してはいないという、少々奇矯…もとえ、奇特なお人でもあり。
『何の何の。こっちの言い値で、しかも気に入った患者だけをやりたいように診てぇって我儘を、まずはの一番に通したいだけのこった。』
 その伝でいけば、彼らは幸いにして気に入られたということか。素性を明かさぬのみならず、何がどうして…大戦も終わって久しいご時勢に ああまでの大傷を負ったのかも、こちらからは言わないし医師殿からも訊かれもせぬままに。随分と難しい症例を二人も診てもらったその上へ、七郎次の義手からの発熱に関してもその後の容体を定期的に診てもらっており。今日は“こちらへ移って参りました”というご挨拶に来たものが、ちょっと兄ちゃんだけこっち来なとばかり、久蔵だけが呼ばれてしまっていたのだが。再び姿を現した彼は、どこか微妙に印象が違っており。

  「……え?」

 神無村ではあちらの皆様の来ていたそれを。そしてこちらへ来てからは、別のものへと着替えたとはいえ、それでもやはり…元のあの、どこか傾
(かぶ)いた紅蓮の戦闘服に比すれば大人しいそれ、小袖に筒袴という組み合わせの和装でいた、その大元の理由だったもの。右の手首を固めていた石膏のギプスがすっかりと取り外されての何処にもないのが、七郎次の眸にまずはと留まり。来たときと同様に肘で中折れにしての装具で首から吊り下げてはいたものの、痛々しいほど細くて白いその手首、こんな唐突な形で久し振りに見ることとなろうとは。あまりの思いがけなさに、ついつい何度も何度も見直してから、やっと事実と認識すると、
「うあ、良かったですねぇ。痛くはない…んですよね? 軽いですか? 頼りない?」
 ちょっぴりうつむいての含羞む久蔵の、そんな態度や目線を辿り、彼に代わって心情を並べる七郎次の至りようへこそ、
“どうしようもない過保護なおっ母様だの。”
 正宗殿が呆れ半分の“おやおや”という苦笑を零したほど。そんな待ち合いへと、

 「何かと鬱陶しかったろうが、これでもうおサラバだ。よう我慢出来たな。」

 他には患者もいないのか、隣室から出て来た医師殿が、小柄な体に見合わぬ豪気なお声でそうと告げ、何とも言わぬ久蔵に代わって所見を語って下さって。
「気づいていたかとも思うが、これまで残していた分は、使わないでいたことで脆くなってたろう関節への楯の代わりとそれから、腕全部から落ちてた筋力を少しずつ取り戻すための、重し代わりみてぇなもんでな。」
 いよいよもって、そういうのが不要になった、晴れて完治と言ってもいいとの太鼓判を下さったが、
「ただまあ、ずっと不自由な格好でいたんだ、動作が堅いのは仕方がねぇ。結構な練達だったのかも知れねぇが、これまでの蓄積は半減以下んなったと思って見切りな。これからまたぞろ少しずつ地道に鍛練積んでって、回復にあたってくしかねぇからよ。」
 ご当人はあくまでもお医者でありながら、だが、腕に覚えの男らをさんざん診て来て判るのか、いつものことながら“焦っちゃなんねぇ”と念を押すのを忘れない。
『兄ちゃんみてぇな若いので、なのに信念に取り憑かれたみてぇな剛の者は久々に見るもんでな。』
 彼らが気に入られたその一端、いつだったか口にされたことがあり。戦さが終わって十年も経ち、すっかりと安穏なご時勢だってのに、ああまでやられての命のやり取りもないだろうと呆れないでもなかったが。あの乱暴極まりない治療に耐えたのみならず、ちゃんと我慢をし通して、こうまで復帰回復したのが、医師殿ご自身へも喜ばしい限りであるらしい。

 「いいな? 焦んな。
  あんちゃんは まだこんなに若けぇんだしよ。焦る理由なんてねぇはずだ。」

 相手の細い背中を叩きつつ、どうどうどうと、宥めるような言いようをする医師殿へ。忝ないとばかりの神妙なお顔をしていた久蔵が、ふと…小さな瞬きをしてからぽつりと呟いたのが、

 「俺は若くとも…。」

 ただでさえ平生の声には張りのない次男坊。つい口を衝いて出たという感があった言いようであり、ハッとしたようにその口元を噤んでしまい、視線が再び伏せられたので。ああこれはもう言う気はないだろなと、居合わせた顔触れの全員に通じてしまった稚
(いとけな)さもまた微笑ましくて。中でも七郎次が特に、苦笑の色も濃い反応をしかかってしまったのは、

 “お相手の勘兵衛様の年をつい、考えたんだろな。”

 そっか、久蔵さんたら心のどこかでそんなことをば案じておいでだったのか。恐らくの間違いなく、そんなところでしょうけど。そうなんだろなとピンと来てしまうおっ母様だってのも…問題なくはないのだろうか。
(苦笑)






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